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建築は住宅に始まり住宅に終わる
住宅作家なんて言葉が建築業界にはあります。
住宅設計を主に手掛けている建築家のことです。
大きい建物も手掛けたいけれど、とりあえず住宅からではなく、強い意志を持って「住宅を手掛けたい」気持ちが住宅設計を手掛ける普通の建築家と住宅作家の大きな違いだと私は認識しています。
そして実は住宅設計が一番難しい。全ての要素が詰まっているのです。住宅設計が上手くできる人は、どんな大きな建築も設計できるとは昔からよく言われていることです。
ある著名な建築家は最後は最初のような小さな住宅建築を手掛けたいと著作本で語っています。わかる気がします。事務所が大きくなると大きな建物やコンペをしないと経営的に大変だからです。でも私もその方の作品は処女作の住宅が一番好きです。結局は一番面白いんですよね、家族のドラマが詰まった住宅設計が。そして名作もまた住宅設計から生まれやすいと勝手に思っています。
かくいう私も住宅作家に学生時代から憧れてを抱いていました。
一級建築士は住宅からビルまでこの世の全ての建築物を全ての規模で設計することがゆるされています。
大学時代の設計課題も住宅からスタートし、美術館、小学校、オフィスビル、複合施設と大きなものへと移行していきました。
当時は(今も?)建築を学ぶ学生が、実際に設計事務所に身を置いて無償の代わりに勉強や経験をさせていただく「オープンデスク」という制度があります。
私は女性初の建築家集団である、林・中原・山田設計同人の中の一人、中原暢子研究室に所属していました。
大学4年時に当時研究室の助手であった村田あが氏が親友ということで、かの一連の星のやの設計で一躍時の人となった東 環境・建築研究所の東 利恵氏の事務所を紹介していただき(当時は東 孝光氏が代表)晴れて仕事をさせていただくことになりました。(星のや軽井沢は当時現場進行中だったと記憶)
設計事務所での仕事に興味深々だった私。「青山というおしゃれな土地に毎日通勤する私」に有頂天になり、青山の街を毎日ルンルンに闊歩しながら事務所に通勤していました笑。
地下鉄サリン事件が起きた時、私は国会議事堂より手前の表参道で下車していました。
事務所に着くと所長が親御さんから電話あったよ!言われ、皆が見ているTVの内容からどうやら大変な事件が起きたのだと知ったのでした。
ちなみに近くにはオウム真理教の青山総本部もありました。
話はそれてしまいましたが、バイト生は青山のアトリエと共にかの有名な東 孝光氏設計の「塔の家」を見学できてしまう特典があるのです!
ワタリウム美術館の道路むかえに静かに佇む塔の家。新建築のバックナンバーではコピーして穴が開くほど見ていた建築が目の前に!!
震えました。外観は主張しすぎず街にスッと溶け込んでいる印象。
いわゆる狭小住宅なのですが、内部は想像を遥かに超えてきました!特にキッチン周りの工夫に目を見張りました。吹き抜けも空間を体感的に広げるのに何役もかっていました。
あの吹き抜け空間にはイサム・ノグチの「AKARI」しかないんですよね!本当に荒々しいコンクリート打ち放しの空間にピッタリと合っていました。
そんなこんなでどかーんとカウンターパンチをくらって、住宅って面白い!!設計事務所って面白い仕事ができそうだぞ!!と就活はほどほどにドロップアウトしていったのでした笑。
時は流れて一級建築士の資格学校(山口達也氏主催:学科・製図.com)で知り合った女性の友人が結婚することになり、その式場が軽井沢の教会でした。
おめでたい!と共に当時から傾倒していた吉村順三氏の「軽井沢山荘」を一眼観れるチャンス!!とばかりに計画を立てたのでした。
当時はSNSなどはない時代。あるかたのブログで住所が分かり、タクシーの方に連れていってもらいました。
当時から自然素材の魅力に惹かれており、(20代は一時、ログハウスメーカーに勤務)
そんな私には彼の作る建築はまさに憧れでした。季節は初夏でしたが、木立に見え隠れする自然の風景を遮らない控えめな外観が私の心を惹きつけて離しませんでした。
中は残念ながら拝見できずでしたが、(当たり前汗)忘れられない体験となりました。
こうして住宅の設計をこの先もずっとやっていきたいと心に決めた大切な出来事になりました。
その後住宅作家である建築家・湯浅剛氏のアトリエ六曜舎入所へと道が続いていくのですがその話はまた、別の回で!
