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2025-12-30 14:51:00

建築は住宅に始まり住宅に終わる

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住宅作家なんて言葉が建築業界にはあります。

一級建築士は住宅からビルまでこの世の全ての建築物を全ての規模で設計することがゆるされています。

大学時代の設計課題も住宅からスタートし、美術館、小学校、オフィスビル、複合施設と大きなものへと移行していきました。

当時は(今も?)実際に設計事務所に身を置いて無償の代わりに勉強や経験をさせていただく「オープンデスク」という制度がありました。

私は女性初の建築家集団である、林・中原・山田設計同人の中の一人、中原暢子研究室に所属していました。

大学4年時に当時研究室の助手である村田あが先生が親友ということでかの一連の星のやの設計で一躍時の人となった東 環境・建築研究所の東 利恵氏の事務所を紹介していただき

(当時は東 孝光が代表)晴れて仕事をさせていただくことになりました。(星のや軽井沢は現場進行中だったと記憶)

設計事務所での仕事に興味深々だった私。「青山というおしゃれな土地に毎日通勤する私」に有頂天になり、青山の街を毎日ルンルンに闊歩しながら事務所に通勤していました笑。

地下鉄サリン事件が起きた時、私は国会議事堂より手前の表参道で下車していました。

事務所に着くと所長が親御さんから電話あったよ!とみなが見ているTVの内容からどうやら大変な事件が起きたのだと知ったのでした。

ちなみに近くにはオウム真理教の青山総本部もありました。

話はそれてしまいましたが、バイト生は青山のアトリエと共にかの有名な東 孝光設計の「塔の家」を見学できてしまう特典があるのです!

ワタリウム美術館の道路むかえに静かに佇む塔の家。新建築のバックナンバーではコピーして穴が開くほど見ていた建築が目の前に!!

震えました。外観は主張しすぎずに街にスッと溶け込んでいる印象。

いわゆる狭小住宅なのですが、内部は期待以上でした。特にキッチン周りの工夫に目を見張りました。吹き抜けも空間を広げるのに何役もかっていました。

あの吹き抜けにはイサム・ノグチの「AKARI」しかないんですよね!本当に荒々しいコンクリート打ち放しの空間にピッタリとあっていました。

そんなこんなでどかーんとカウンターパンチをくらい住宅って面白い!!設計事務所って面白い仕事ができそうだぞ!!

と就活はほどほどにドロップアウトしていったのでした笑。

時は流れて一級建築士の学校で知り合った女性の友人が結婚することになり、場所が軽井沢の教会でした。

めでたい!と共に当時から傾倒していた吉村順三の「軽井沢山荘」を一眼みたい!!と計画を立てたのでした。

当時はSNSなどはない時代。あるかたのブログで住所が分かり、タクシーの方に連れていってもらいました。

当時から自然素材の魅力に惹かれており、(20代は一時ログハウスメーカーに勤務)

そんな私には彼の作る建築はまさに憧れでした。季節は初夏でしたが、木立に見え隠れする自然の風景を遮らない控えめな外観が私の心を惹きつけて離しませんでした。

中には入れませんでしたが、忘れられない体験となりました。

こうして住宅の設計をこの先もずっとやっていきたいと心に決めた大切な出来事になりました。

その後住宅作家である建築家、湯浅剛のアトリエ六曜舎入所へと道が続いていくのですがその話はまた、別の回で!

 

 

 

2025-12-24 11:06:00

娘に伝えたい我が家のレシピmemo その1その2

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私は食べることも作ることも大好きな自他ともに認める食いしん坊です。

料理を始めたのは一人暮らしを初めてからです。

実家暮らしの頃はたまに自分でパスタやタコなしたこ焼きを作ったりする程度でした。

母がとても料理やインテリア、その他暮らし全般に興味がありまた得意な人だったので

知らず知らずのうちに影響は受けていたかもしれません。

わたしはというと高校時代などクラスの女子がバレンタインに色めきたって好きな男の子

に渡すため手作りスイーツを試作して学校に持参したのを「味見係」を常としていたくらいお菓子作りには全く興味がない人間でした。

それよりは友人と組んだ女子バンドの練習でスタジオにこもって練習したほうが楽しかった日々笑

話はそれましたが、そんな私も一人暮らしをスタートさせ、限りあるお給料を生活費に割り振ると毎日中食や外食など贅沢はできるわけもなく、必然的に自炊へと向かっていきました。

休日友人を招いてのプチホームパーティーを開催するたびに料理の楽しさに目覚めていきました。

当時は料理は「食べられるARTだ!!」と意気込んでいたほどです。

なんでものめり込むタイプのわたしは、あっというまに料理の虜になっていきました。

縁あって結婚し、娘が産まれてからは世間では時にバッシングされてしまう?!「自然派」に傾倒していきました。

平たくいうと「NO化学調味料・NO化学繊維・無香料無着色・無添加・無農薬」のものを身につける、口にする、可能な限り薬に頼らないということを追い求めるようになっていきます。

食材は近所のスーパーではなく多少値は張りますが、自然食品に特化しているネットスパーで取り寄せ、味噌汁は出汁を昆布からわざわざ取るみたいな生活です。

赤ちゃんを抱えながら仕事も家のことも全て一人でしながらこれを続けていくのはなかなか時にしんどかったですが笑、

私は取り憑かれたようにこれが正しい!大切な娘の身体は私が作るんだと少し意気込みすぎていたように思います。。

子どもが産まれてから外食に家族で初めて行ったのは確か娘が2歳になった頃。それも基本うどん屋さんばかり笑。だいたいがサンドイッチや焼きそばやおにぎり持参で公園にピクニックがその頃の休日の過ごし方でした。

もともともてなし好きの料理好きの私でしたが、子育て中はよく我が家をママ友親子に解放していておにぎりだけ持参してもらい大量に豚汁を作りもてなしていた記憶が蘇りました笑

みんなで子育てすれば楽しいし母親も孤独にならずにすみます♪その頃出会ったママ友は今では大切な友人になりました。子育て期間を共に乗り越えたいわば戦友です。

月日は流れ小学校入学。娘も少しずつお友達は普通に食べているのに「マックを一度も食べたことのない私」に気がついてしまいます笑

初めて彼女がハッピーセットを食べた時の嬉しそうな顔っていったらもう!今でも忘れられません笑

何事も程度ってものがありますよね。多いに反省です。

お友達にいじめられない程度にこれからは緩めていこうと少しずつ私も変わっていきました。

この辺から私も独立して時間もたくさんできましたし笑、本当の意味で料理が楽しくなっていきました。

娘が小学1年生の冬からコロナ禍に入ってしまい、3食基本週7作る毎日になっていきましたが、そもそもあまり外食をその頃はしていなかったので家食を極めていった感じです。反動で今ものすごい自分では作れないお店やさんの美味しいものを食べるのが趣味なのですが、そのうち家族に手料理となって還元できる日もくるでしょう笑

今ではこの時期になるとこの料理!という風に我が家のレシピが出来上がっていきました。(現在ing)

娘が大人になってからそういえばママの味だなぁ、と思い出してもらえたら嬉しいなと少しずつこちらにレシピをエピソードと共に綴っていこうと思います。

 

 

その1 パエリア

私が無類のパエリア好きなのでとうとう結婚と同時にパエリア鍋を購入してしまい(パエリア鍋は我が家では炒め物、焼き物とALLラウンドに活躍中です!)

何かとヘビロテしています。具材はセットされているものを購入する時もあれば、冷蔵庫の中のありものでチャチャっと作る時もあります。

・・・・・米、具材(トマト、あさりはマストで。他の魚介類やキノコなどはお好みで!)液体(出来合いを使用)、水(適量)を入れて

沸騰したら蓋をして10分(おこげ好きは15分?)→火を止めて20分蒸らす。・・・・・・・

外でいただくと結構なお値段ですが、実は自宅でもカンタンに作れちゃいますよ!

パーティー料理にも大活躍です!!

 

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その2  にんじんのポタージュ

米も玉ねぎも入れず基本にんじんオンリーでにんじんの旨味と濃厚さを楽しむスープ。母から私が受け継いだレシピです!

・・・・・・にんじん(うすく銀杏切り)3本程度(余ったら翌日の朝食にどうぞ!)スープの素、水でぐつぐつ煮込む。にんじんが柔らかくなったらミキサーで潰す。軽く塩・胡椒で味を整え、牛乳適量、お好みで粉チーズを振りかけるとコクが出ます・・・・娘はにんじんが苦手ですが、このスープは大好物です。

 

ボナペティ!!どちらもとても簡単で美味しくておすすめです!

 

 

 

2025-12-18 17:00:00

会場構成への熱い想い

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会場構成への熱い想いが膨らんだのはいつからだろう?

新素材研究所が手がけたカルティエ展 (2019)

田根剛が手がけたミナペルフォネンつづく展(2019)

あたりからおぼろげながら建築家の方が積極的に自身の仕事に会場構成を選択し?!また社会的にも重要な仕事として認知されはじめてきたように記憶している。

(以前からももちろんあったのだろうが手がけた方のクレジットは無かったように思う)

自分の中での決定的になった会場構成は中山英之が手がけたモネ光のなか展(2021)、同建築家の川内倫子:M/E球体の上無限の連なり展(2022)である。

とても優れた会場構成の仕事を目の当たりにし、コロナ禍以降住宅資材の高騰や余剰する既存住宅ストックにより勢いのあるリノベーションの仕事と同じくこれからの建築家の仕事としての主戦場になるであろうと確信した。

何はともあれ仕事以上に趣味として興味を持った展覧会へ足を運ぶのを常にしている私はリサーチも兼ねて数年間会場構成の現場を観察し続けた。

名も無い実績もない建築家には当然会場構成のオファーなど来るはずもない笑。

そこで私はひっそりと自分で自分の個展を企画し、会場構成すればいいじゃない!!と胸に秘めていった。

それがいつになるかはわからぬまま月日は流れて娘の小学校卒業の2025年の年明けに、

建築士の資格学校で知り合った女性の友人と新年の挨拶LINEをしていた。

彼女は数年前から設計事務所の傍ら地域に開いたギャラリーのような居場所を企画運営していたのですが、遊びにいきたいと思いつつも子育て中は何かとバタバタしており、なかなか足を運べずにいた。

しかし娘の卒業というまたとないタイミングと友人へのお祝いとして場所をレンタルしたいという想いが結び付き、自身で企画・会場構成した個展を彼女のギャラリーで開催しすればいいのだ!!と天からのお告げのように閃いてしまった。赤ちゃんの頃から撮りためていた娘の写真やアルバムを見てもらいたい想いと結婚式以来親しい友人らが一堂に会する場を設けたいとの想いもあった。

こうなると、いつも私の行動は早い笑。

3月末に1日貸切を予約、インビテーション作成・送付、写真家選定・依頼、各打合せ、発注、制作と合間に娘の卒業式や卒業母子初海外旅行を楽しみながらも直前は徹夜で作業を仕上げて、当日は仲間や子供たちの力をお借りして、個展は大盛況に幕を閉じた。

(個展の詳細はworks→サワダ写真館 家族の風景展をご覧ください!)

やりたいと思ったことはじっと待たずに、自ら動いてみたら実現できるということを今回、学んだ。

何よりとても楽しかった!個展自体は当然無料な上、むしろ製作費までかかっているが笑、それ以上に実績を作れたということが事務所としては大きな収穫だ。

目先の損得で物事を判断してはいけないと常々思っている。

これから先も可能な限り待つのではなく自らが発注者なり、仕事を進めていける体制を整えていきたいと思っている。

 

 

2025-12-12 10:35:00

Ryuichi Sakamoto:Diaries

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さっそく観てきました!

坂本龍一さんの最後の映画音楽になったのは是枝監督作品「怪物」のサントラだったと記憶しています。

大好きです。とても。映画も音楽も。

わたしと教授との出会いは遥かむかしむかしの小学生のころ。

友人の家に遊びに行くと彼女の兄が変な髪型(テクノカット!)をして変な曲をいつも自室で流していました。

これがかの有名なYMOとの出会いです。

小学生がYMOにはハマるわけもなく笑月日は流れ、高校生になり。

坂本龍一がサントラを手がけ出演もした大島渚監督作品映画

戦場のメリークリスマス」(通称戦メリ!

をレンタルビデオ屋で借りて観ることになります。

北野武デビットボウイを出演させる監督のセンスのよさもさることながら、

その内容にも高校生にはちょっぴり刺激的でした。

リアルタイム上映が私が10歳のころなので、なかなかに早い出会いになります。

劇中に流れているその美しく忘れられない旋律に一瞬で虜になりました。

そこからレンタルCD屋で掘ほり作業がスタートするのですが。

細野さんはYMOというよりは、はっぴいえんどでどハマりしました。

そしてなんといっても私のハートを鷲掴みにしたのは幸宏さんです!

原田知世ちゃん主演の角川春樹映画「天国に一番近い島」で知世ちゃん扮する主人公の父親役で初めて彼を知りました。

美大出身の彼はとてもおしゃれでアパレルの方でもそのセンスを発揮されていたとか。YMOの舞台衣装も手掛けていたとか。

当時は幸弘さんのソロアルバムと大貫妙子さんや矢野顕子さんばかり聴いていた高校生でした。

その後小沢健二コーネリアスこと小山田圭吾の伝説のバンド「フリッパーズギター

に全青春をささげておりました笑

私の音楽遍歴紹介で若干話がそれましたが。

映画の感想

とにかく素晴らしい作品でした。

ドキュメンタリーの枠を越えていたように思います。

観ている者たちもどっぷりと「そこ」にいるかのような感覚になりました。

教授が紡ぎ出した音のシャワーを全身に浴びながら

「生きるとは・ライフワークとは・家族とは・どのような最期にしたいか」

などと深く考えさせられた2時間。

ともかく坂本龍一の生き方にブラボー!

この先もずっと聴き続けます!

2025-11-10 14:29:00

始まりの旅

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 わたしは旅をこよなく愛する人間だ。

独身の頃は国内外問わずいろいろな場所に旅をしてきた。

当時はインターネットはまだ出始め、SNSなんてもちろんない時代。雑誌や本、TV・ラジオからの情報でアンテアに引っかかった場所へ足を運ぶ、そんなふうにして行き先を決めていたように思う。

大学に入学しバイトで収入を得るようになって20歳で初めての海外デビューの行き先はたしかグアムだった。友人に誘われるまま流れで行った。当時は今ほどリゾート地化されていなくてのんびりとした島だなぁという印象。特筆すべきは実弾での射的体験に女子3人で大号泣した笑い話を思い出す。あと海に大量発生していたナマコの足に触れた感触が今でも忘れられない記憶笑。

 

卒業旅行では友人5人でイタリア・ギリシャ・スペインを巡った。初めてのヨーロッパ。古代ローマではゴロゴロ街中に出現する遺跡やバチカン市国のフレスコ画に人間ってすごい!とバカみたいな感想しかでてこなかった笑ギリシャアテネでは町から坂を登った先に急に現れたかの有名なパルテノン神殿。実物が存在してたんだ!と感嘆の声しきり。

スペインでは本物の大作、ピカソの「ゲルニカ」!時を忘れてずっと観ていた。

どれも20歳そこそこの若者には圧倒されすぎて、夢見ごごちで。貧乏旅行だったけれど、これから先の人生にきっと何がしかの影響があるのだろうなというワクワクを胸に帰国した。

 

卒業してからは香港、バリ島、シカゴ、イタリア(ローマ・ベネチア・ミラノ)

フィンランド、パリ、NY、デンマーク、スウェーデン。

一級建築士の試験勉強と仕事の合間を縫って旅してきた20代。モノ作りに携わる人間としていまでも本当に旅は財産だったなと思っている。変わらずビンポー旅だったけれど、エアチケットだけをとり、現地でカタコトの言葉でホテルの予約を取るなんてことを楽しんでやっていたなぁ。旅のバイブルは今も昔も「地球の歩き方」。持ち歩くのに分厚くて重いんだけど笑

その国の割と全てが網羅されていてやっぱり信頼度が高いんです。

いまはスマホになっちゃうんだろうけど。

今春、娘と行った15年ぶりの海外旅行にも迷わず基本地球の歩き方1本で!世代ですかね?

 

国内は主に春の京都、離島や世界遺産を巡る旅へ。

沖縄本島は数えきれない!!!、石垣島、西表島、竹富島、屋久島、八丈島、大島。毎年恒例町家に泊まる京都桜旅、北海道小樽、

札幌、飛騨の高山、白川郷(合掌造世界遺産泊!)などなど。

旅は行く場所も大事ですが、仕事柄宿泊するホテルもかなり重要視しています。勉強代だと思い居心地の良い最高のホスピタリティを感じられるホテルになるべく宿泊するようにしています。そしてゆくゆくはその体験が自身の設計に反映されることでしょう。

まあ趣味でもあるのですが笑

これから少しづつ旅の思い出の記憶を手繰り寄せながら綴ってみようと思います

 

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